万治峠登山と歴史散策(10月28日)

万治峠登山 「忘れるなよ 万治峠のほととぎす」……万治元年(1658年)に開設された峠の頂きに小川芋銭の句碑が立っている。小川芋銭とは、明治から昭和初期にかけて活躍した日本画家であり、社会主義者の幸徳秋水の影響も受け、身近に働く農民の姿や河童の絵などを特に多く描いたことから『河童の芋銭』とも言われた有名な画家である。そんな著名な画家が、なぜ鹿瀬のような寂れた峠に訪れたのか……。われわれは、なんとなく魅力を感じ、一度は訪ねてみたいと思っていた。
 10月28日午前7時半、われわれアクロス一行20人は、この句碑のある万治峠を目指して、水原公民館を出発した。前日までは、台風の影響もあり、烈しかった雨が降ったが、今日は、打って変わって晴天。実によい秋晴れであった。われわれは、まず峠に登る前に日出谷水沢集落に行き、高松家の裏山の「さすらいの丘」を訪ね、そこにある会津藩家老保科正興の墓を見学。この保科正興とは、会津藩の家老職に就きながらも政争に敗れて失脚、貞享3年(1686)、三十八のときこの地に配流され、許されることなく元禄2年(1689)8月に没した人物だと言う。その時に建てられたと思われる旧墓石は十字に切断され、倒され、現在も地面に放置されたままとなっている。その時の会津藩主は、二代将軍徳川秀忠の四男の保科正之だ。家光の弟だ。だから、保科家は、いわば徳川将軍家の直系にあたるのだが、そこで起きたお家騒動とは一体何だったのか。なぜ、藩主家の一族の者がこんな辺地に流され、冷遇されたのか……歴史にまつわる謎はつきない。鹿瀬など阿賀町は、明治まで会津藩であったため、会津藩にまつわる史跡が実に多いだけに面白いところだ。たとえば、戊申の役で有名な家老西郷頼母にまつわる史跡もある。小川芋銭と峠との関係はなんだったのか。なぜ、芋銭はこんな山なかに来たのか。ここでも疑問はつきない。
 われわれは、こうした歴史散策の後、峠をめざして実川集落に行く。途中に見た実川渓谷の紅葉は、日に映えて輝いて、実に美しかった。われわれは、実川集落の五十嵐邸を午前9時半頃出発。紅葉を見ながらの万治峠登山をおこなう。途中、東屋で、4人が昼飯のためのマイタケ汁づくりのため残り、他の16人は峠に向かう。30分もかからずに峠に到着したが、見えるはずであった飯豊の大日岳が、ちょうど、山頂に雲がかかったいて見えなかった。しかし、周りの紅葉は、実に素晴らしかった。16名は峠から下りて、東屋で合流、全員で美味しいマイタケ汁で昼食を取った。その後、下山。豊美駅前の喫茶店でコーヒーを飲むなど一休みして、一路水原公民館をめざす。公民館に午後6時前着。今日の企画は、「花」博士の中村さんであったが、歴史散策をはじめ、マイタケ汁づくりと言い、峠登山計画と言い、実に素晴らしものだった。会員の皆さんは、大いに満足そうであった。

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